FoE Japanでは、原発事故とそれにまつわる人々の記憶を「可視化」していくために、 写真と一言メッセージを募集しました。2019年12月13日〜2020年3月2日の応募期間中に74点の応募がありました。想いのこもった印象深い写真とメッセージをありがとうございました。
本来は、3月11日に東京、3月14、15日に福島で開催を予定していた「どう伝える? 原発事故のこと」で紹介し、ご来場者に投票していただくことを予定していたのですが、新型コロナウイルスの影響で、残念ながら実施できませんでした。
FoE Japan事務局ではあえて選ぶことはせず、すべての作品を紹介させていただきます。
「道」 「その先へ」 「散歩道」 「夕暮れ」 「強くあれ」 「タイトルなし」 「帰り道」 「それぞれの選択」 「この道は…」 「津波で壊れた手つかずの家」 「避難先でみた夕焼け」 「福島市を見守る吾妻山」 「ファミリーホーム とは…」 「子どもが子どもであるために」 「大人の事情で親と暮らせない子らの日常」 「ぼくの生きるまち」 「原発避難した子の故郷を訪ね…」 「2人ぼっちの相馬港」 「誰もいない…」 「太陽」 「鮫川村指定廃棄物焼却実証事業」 「富岡町仮設焼却炉」 「指定廃棄物埋立処分場(富岡町)」 「生」 「私たちは諦めない!」 「伝わるプラカード、伝わるスピーチ、伝わるデモを目指して」 「日はまた昇る」 「荒波にも負けず」 「除染後 浪江苅野」 「瓦礫」 「8年目の大震災洋上供養」 「洋上供養」 「何気ない日々」 「砂場遊びがイベント?」 「声を大にして」 「地上0cm」 「『原発危険区域』」 「NIMBY?」 「ほふくのりんどう」 「子どもたちを守るために」 「思いきり自然に触れて」 「様々な意見」 「様々な意見2」 「マスクをつけて校外活動」 「復興への階段」 「戻っるんだべか?明日は何が見える。」 「あの日を見据えて」 「2011年5月の無残な我が家」 「少しずつ蘇る海」 「ボランティアに感謝」 「津波が上った川.八幡川の変化」 「慰霊の丘の下に消えた我が家」 「あなたへ届け」 「今 浪江町請戸港」 「浪江町請戸港出初式」 「浪江町請戸港 伝統人」 「廃校」 「風評に負けず」 「失われた日常」 「放射能知れば知るほどこわくない」 「闇夜の町役場」 「七年ぶりの船出」 「振替輸送の日々」 「学ぶこと、生きること」 「汚染土の山に」 「3.11鎮魂を彫る」 「毎年実りのあった生活は?」 「原子力は恐ろしい」 「Sunset」 「こちら現場です」 「福幸ラーメン」 「石巻の朝〜3.11から10ヶ月経って〜」 「笑顔をごちそうさま」